せきをしても個人

個人を尊重する時代にわれわれを結びつけるものはなんであろ

 

地縁や血縁の窮屈さ、いわれのない抑圧は少しずつほどけてきて、それは実にたくさんのひとびとを解放し幸福をもたらしうる潮流である

 

そして個人が個人としておのおのの幸福を追求するとき、となりの人々とわたしはどのように関係してゆくのか?たとえば異なるイデオロギーの人々と、とてつもない金持ちととてつもない貧乏人と?

 

そんなものは必要ないのかしら?ほんとうに?

てんでばらばらにかつ消えかつ結びて流れ流れてゆけばよいのだろうか?

 

地縁や血縁が薄れて、仕事だって家で1人でできる人が増えて、会社の飲み会などもってのほかで

かわりに人はどうやって結ばれるのだろう

もう全然結ばれなくていいのか?

でもゆるくこの辺の枠の人、とかカテゴライズされると安心しませんか?それがエスカレートすると偏見になり排他主義になるのだろうか

となるともうそういう枠組みは必要とされないのだろうか

だから失われていっているのか

もっとこまかいシナプスみたいになるのか

 

あああよくわからなくなってきた

そもそもこれは私のただのノスタルジーなのか

 

田舎の秋祭りが好きだ

氏子連中がかつぐ御輿と子供のうたう声と太鼓の音

夏の浴衣の盆踊り

ひなびた広場で遊んでいると区長のおじいさんが通りかかって、若いころブラジルへ行った話をしてくれる

「石けん買いに行くときは前もって辞書で「石けん」の単語を調べて手に書いていくんや、ポルトガル語なんかぜんぜん勉強せんと行ったさけ」